追憶のゲームコーナー Ⅱ
2015年 01月 14日
博打にのめり込み、家庭を壊し、職すら失い、自分の親に金を工面してもらっていた叔父。
挙げ句、姿をくらました。荻野家は超楽天的家系。祖父、祖母、母はよく叔父を冗談にしていた。
わけのわからないニュースがテレビでやると、『犯人は○○○じゃなかろうな(笑)』だって。
数年前のこと。一本の電話がある。見ず知らずの男性からだった。叔父死亡の報せ。
ポックリと見事に野垂れ死んだ。享年57才。ろくでもない男だったが、ボクは可愛がられた。
たぶん賭けに勝った時だろう、必ずボクにオモチャを買ってくれた。その量の凄まじかったこと。
富士市吉原に住んでいた叔父。年に数回ばかり伊豆に帰省。するとすぐ「行くで」と召集。
ボクと弟を車に乗せて連れていってくれたのが、サンハトヤのゲームコーナーだったのだ。
みんなでやるのは「競馬ゲーム」。やはり叔父のギャンブル好きは病的だったことがわかる。
今年の成人の日。久しぶりに同所を訪れた。今度はボクが甥っ子を引き連れて。
自分はなんとか行方をくらませずに生きている。我が“追憶のゲームコーナー”のお話でした。
平馬