長崎旅日記 2
2015年 05月 22日
石炭がメインエネルギーだった時代。
それが昭和40年代から石油にシフト。
それによって……
昭和49年閉鎖。島民は発令からわずか3ヶ月で移住した。それから41年間も放置されることに。
これには理由がある。端島はもともと三菱が所有。とうぜん国や県が介入できなかった。
売りに出すも買い手がつかず、長崎県に譲渡された後、軍艦島として観光名所にしたのである。
世界遺産の認定は確定的。あまり知られていないが、島全体の登録でははない。
「産業遺産」、つまり炭鉱で使用した重機、特殊な煉瓦(壁)などである。画像参照。
今、過去の強制労働に対する事実を提示し、中国や韓国が認定反対の抗議をしているようだ。
長崎に行く前のボクは、「また難癖がはじまったか」と首を傾げていたが・・・
知れば知るほどに彼らの思いに同情するようになっていった。
たしかに産業遺産と差別を結びつけるのは論点ズレ。しかしどうも腑に落ちないのだ。
例えば偏差値の高い名門学校が、世界的名誉ある賞を授かる段になったとしよう。
ところが、校内で差別やイジメが横行し、それが原因による他殺・自殺が相次いでいたとしたら?
「いやこれは学校そのものにでなく、生徒が大事に使っていた机や椅子に与える賞なんです」。
みなさん、こんな話にすんなり納得できますか?
賛否両論あるだろう。ただボクは個人的に世界遺産認定には反対です。

平馬