永ちゃんを通して 2
2019年 08月 29日
昨日のつづき。
矢沢永吉のインタビュー番組を見て、ボクが思ったことや感じたことなどを今日は書いていく。永ちゃんに憧れている人は読まなくてけっこう。タオル投げの練習でもしてろ。
音楽業界に関わっている人、つまり音楽“だけ”でメシを食っている人たちをボクは無条件で尊敬する。そりゃあ世界観の好き嫌いはありますよ。ゴミみたいな奴が居るのも知っている。
しかしそれは個人事業主と似ている部分があり、さらに一般的な商売屋よりずっと厳しい世界だ。人気商売の残酷さはそうとうなもの。下落して次の一手がなけりゃ即サヨナラだもん。
SNSは地球規模で定着した。これを利用してまんまと名を上げたアーティストはたくさんいる。だが、逆に潰された連中も少なくない。芸事で金を稼ぐって大変さ。マジでそう思う。
さて、そこでパイのような商業ベースに乗らない(乗れない)インディーズバンドはどうあるべきかだ。まず、とにもかくにもトーンである。「トーン」ってなんだ?はい、下記参照↓
1 音、音調。
2 色調。
3 物事全体から感じられる気分・調子。
人の数だけトーンがある。どこの馬の骨かもわからないような輩が、売れ線アーティストのごとく歌ったり、喋ったり、奏でたり、そんなトーンイレギュラー者をこの15年でよく見かけるようになった。
たとえば永ちゃんトーンを売れてない奴が真似てやったらどうなる?誰も相手にしねぇよ。キチガイ野郎め!って石を投げられかもしれない(笑)。若い子なら「キモい」の一言で終わりだ。
特に3。物事全体から〜の頭を、「人物」に置き換えてみるとわかりやすいだろう。矢沢、YOSHIKI、宇多田、桑田、陽水、林檎、民生、あいみょん、み〜んな独特のトーンの持ち主である。
歌手だけにあらず。噺家ならば、志ん生、圓生、談志に小三治。とんでもない個性と才である。その巨匠の口調をただ真似ている落語家に遭遇すると、見てるこっちが恥ずかしくなってしまうものだ。
そりゃもう音楽界なんぞ落語の比ではない。ウジャウジャ。気味が悪いのは「みんなで頑張って生きよう」系と、「とにかくボクはキミが好きなんだ」系だ。ここのところ大増殖中。
天邪鬼(あまのじゃく)、大いにけっこうです。売れている連中と違うトーンで音楽と携わってみろよ。インディーズの特権と自由をなぜスルーしてしまうの?ボクはまるで理解できない。
ちょいと長い文になったが、永ちゃん番組を見て、ボクはこんなことがつらつらと頭の中に浮かんだのだった。たまには脳内をまとめてみるのも悪くないよね★ヨロシク。
H.OGINO⚡︎