ポンタさんのこと 2
2021年 03月 17日
つづき。
朝5時を過ぎたあたりに実家到着。2階にある自室で飲み直し。缶ビールで乾杯した。壁に貼ってあるデ・ニーロのポスターを見て、「お!デ・ニーロかっちょええ」と声をあげたポンタさん。
酔った勢いでパイの「祭祭祭祭祭」をかける。「おもしろいことやってんな。このバンドは仙波(清彦)さんが合う。こんど紹介してやっから」そう言って全曲聴いてくれた。サシ飲みは6時半にお開き。
ボクは一睡もしないで仕事へ向かった。めちゃくちゃ飲んだのに、頭は逆に冴えたまま。天下無双のドラマーを独占できた幸福感はいつまでも忘れないだろう。それから月に2.3回ほど電話がくるようになった。
「目黒のブルースアレイでやるから来るか?店のやつに言って楽屋まで案内してもらえ」いくらなんでも楽屋くらい1人で行けるって。しかし、なんとポンタさんの部屋はホテルの一室だったのだ。
断酒後は無茶するような事がなくなり、夜通しどうだこうだを再びとはならなかった。そのかわり楽屋で本番直前までお話したり、一宿の返礼なのか葉巻やサングラスなどをプレゼントしてくれた。
社交辞令なんて一切しない人。パイのシカゴ公演の前、「アメリカに居るギタリストに連絡させるからアドレス教えておいて」と言われ、翌日届いたメールの送り主がギタリストの山岸潤史さんだったのには驚いた。
演奏の凄さについて今さら書かないが、ポンタドラムの根底は「美意識」であると断言する。音に花鳥風月を感じるのだ。独学であれほど独自理論を構築した人は世界中であの方だけだろう。
つづく
ヘーマ