これはどうなんだろうか。
聴きたいような、聴きたくないような、チャーリーのいないストーンズのニューアルバム。今日は、観たいような、観たくないような、猪木映画について書く。10月6日公開。
タイトル「アントニオ猪木をさがして」かぁ。ポスター画像を見ると、長々としたコピーに首を傾げた。横顔の猪木、背景は黒一色、何ひとつ斬新さがない。単なる猪木賛辞の匂いがする。
言っておくが、アントニオ猪木はさがせません。見つかりません。どこにもいません。だってプロレスファンをこんなに翻弄させたレスラーが他にいる?客の暴動だって何回も起きた。
国技館に火をつけられ、そこらじゅうで器物破損、損壊。結果、何年間も会場使用ができなくなる。モハメド・アリとの世紀の一戦、今になって凡戦が激闘と評価が覆ったが、試合後、35億円の負債を抱えることに。
昭和50年代後期、すでにプロレスに飽きていた猪木は事業家になる気満々。会社を私物化、クーデター、政界進出、イラク人質救出、北朝鮮外交、平壌スタジアムでのプロレス開催で再び約20億円のマイナス。
猪木の作った借金のほとんどは、新日本プロレス(坂口社長)が返済したのである。晩年も新事業に手を染め、世界のゴミ問題解決に向けて奔走していた。そして、難病(心アミロイドーシス)を患う。
ここに列記したのはほんの一部であり、ブラジルに船で渡った幼少期から亡くなる79歳まで、まさに大、大、大激動の生涯。全身小説家があるなら、猪木は全身プロレスラー。「唯我独尊」である。
上っ面なめたような映画なら観たくもない。けど、観てしまうのだろうけど。ボクは、目を閉じ、瞼の内側に浮かぶアントニオ猪木が、その人にとっての猪木のすべて。それでいいじゃないかと思っている。